〜十二の月、サイネリア〜

 本格的に冬になり、時折雪がちらつく。
 今年のうちに故郷へ帰らなくてはならない。
 それは、決してイヤな事ではない。
 むしろ、懐かしい人達に会える、家族の元へ帰れる。
 嬉しいはずなのに、心が弾まない。
 「帰ってしまったら…もう二度と帰れなくなる…」
 国を離れ、他国の人間になるという覚悟はできていた。
 愛すべき人との暮らしを望んでいる自分を認めていた。
 だが、いざその日が近付くと不安になる。

 シレネはアーウィングにお茶を運ぼうと
 サロンの前を通りすぎようとして立ち止まってしまった。
 「何をしてらっしゃいますの?」
 「えっ?あ、あぁ〜っ!」
 振り返った瞬間、フェンネルの右手に重みがかかる。
 「俺の勝ち!」
 ラナンという少年騎士がフェンネルの手をテーブルの上に仰向けに倒す。
 「卑怯だぞ、ラナン!」
 「よそ見してるアンタが悪い!俺の勝ち、だよ」
 どうやら腕相撲をしていたらしい。
 フェンネルが本気で悔しがっている所を見ると、
 どうやら何かを賭けていたようだ。
 「仕事はどうしたんですか?」
 「無いよ?だって、見てよ」
 ラナンの指差した方向には、
 真剣な顔で書類と格闘するルーディスとセージュの姿。
 そして、その脇で涼しげに書類に目を通してテキパキと仕事をこなすディルの姿があった。
 「3人いれば…っていうより、ディル兄貴がいれば事が足りるって」
 シレネも納得といった表情でお茶を運ぼうとすると、
 横からラナンがお茶請けに用意したクッキーを一つ、掠め取った。
 「ちょっ…何をなさいますの!」
 「ん〜?毒見♪んんっ、なかなか…悪くない味だね」
 悪びれも無く笑う顔はどこかアーウィングと似ている。
 ラナンの方が年上のはずだが、背格好もあまり変わらない。
 違うのは瞳の色だ。
 「困った人…」
 シレネはこっそりため息をついた。
 (あれで良く騎士が勤まります事…)
 ラナン=クラウスという少年騎士は、
 他の騎士達と比べて明らかに華奢な印象を受ける。
 シレネが不思議に思ったのも当然である。
 背の高さが頭一つ分低い。
 アーウィングと並べば変わらないだろうが、
 他と比べてしまうと大人の中に子供が混じっているかのようである。
 それでも、騎士としての経歴は二番目の兄と同じというから
 シレネには更に驚きだった。
 「この国は平和過ぎ。せっかく俺達、張りきって来たのに…」
 「その方が良いよ。
 アンタ等が来た時は、また変な動きがあるのかって心配だったけど、
 そういう訳でもなさそうだし」
 「まぁね。でも、俺には最後の仕事かもしんないし…
 それなら派手に何かないのかな?って考えるじゃん?」
 ラナンは明るく振る舞うが、彼の本質はそんなに単純なものではない。
 フェンネルは過去に何があったのかを知っているから、
 敢えて深く考えない事にした。

 アーウィングの部屋の扉を叩く。
 「シレネです。お茶をお持ちしました」
 「どうぞ」
 中に入るとアーウィングは何か書状を書いていた。
 「…?あぁ、これ?レストナの領主の人に書いてるんだ。
 治水についての意見を求められてたから…
 ほら、離宮の裏手の山から土を採ると地盤にどれくらい影響するかとか…」
 仕事をしている時のアーウィングは、やはり王族の人間で、
 その真剣な表情や態度には尊敬の念すら抱く。
 「でも…こういう風にカトレアの事を考えられるのも、あと少しかと思うと…
 僕はつくづくこの国の人間ではない事が分かるよ。
 僕は、カトレアが…カトレアの民が好きだ。
 今になってそんな風に思うなんて…」
 「それは、今までアーウィング様が
 カトレアで過ごした思い出がたくさんあるからですわ。
 クレツェントにはまだ半年しか住んでいないんですもの。
 それは当然の事です。私も、カトレアの方が好きです。
 でも、ここで暮らすのだって悪くありませんわ。
 クレツェントの王宮も働きやすそうですし、
 王女に仕えるというのも案外、悪くありませんわ」
 「そうだね。ここにはリディア姫がいる…
 彼女と過ごすなら、この国も悪くない…」
 シレネはドキッとした。
 アーウィングの見せる表情が、少し大人びて見えた。
 「そうだ。今度、シレネが王城に行く時、
 庭師の人に僕からだって言って頼んで欲しいものがあるんだ」
 「はい。リディア様への贈り物ですね…」

 シレネが王城へ向かう時、ちょうどラナンと出くわした。
 「今から王城?」
 「そうですけど…」
 「俺も付いて行くよ。お前一人だと危ない」
 シレネは馬鹿にされたのかと思ってムッとする。
 「私一人では使いもできないと仰りたいのですか?」
 「…そうじゃなくて。お前だって一応、年頃の女なんだし…
 気をつけたほうが良くない?ってゆ〜か…」
 「…心配してくれましたの?」
 きょとんとした表情でシレネがラナンを見上げる。
 「俺はヒマなんだよ!だからっ、その…付いて行ってやるって!」
 シレネの乗ろうとした馬にさっさと乗ってしまう。
 「ほら、手」
 馬上から手を差し伸べる。
 その手を取るとグイッと予想外に力強く引き上げられた。
 「…王城の近くに庭師の家があります。先にそこに寄ってから王城へ…」
 「了解!」

 庭師の家は花や木に囲まれていた。
 ある程度育ててから植え替えてやる事が多い所為だ。
 「アーウィング様から頼まれて参りました。
 ルクリアはもう咲きましたか?」
 「あぁ、そろそろ咲く頃ですね。明日にも城へお移ししますよ」
 ルクリアは薄いピンクの可憐な花を咲かせる花木で、素晴らしい芳香も堪能できる。
 「ルクリア…ねぇ。"しとやか"だっけ?」
 「そうよ。リディア様にお似合いの花だわ」
 「リディア王女か…たしかに似合ってるな。
 そういう可憐で儚げな雰囲気だもんな」
 謁見の時のリディアを思い出し、納得する。
 「そうよ。ああいう方を女性らしいって言うのよ」
 妙に力説するシレネを無視してラナンが勝手に花を摘んできた。
 「俺はそういう女より、こういう女の方が好きだけどな」
 "ほら、見てみろ"と言わんばかりに差し出してくる。
 「サイネリア…ね。貴方にはそういう方が似合ってるかもね?」
 笑いながらどんどん先に進んでいくシレネの背中を見ながら、
 舌打ちして手にした花をラナンは放り投げた。

 ――サイネリアの花言葉、快活。そんな君が好きだよ。

 その日、アーウィングの部屋にお茶を運んできたのはフェンネルだった。
 「どうしたの?珍しいね」
 「あぁ、今日はシレネが居ないし、ラナンも居ないからヒマでさ…」
 「へぇ…それにしては何かそわそわしてるよ」
 「そうか?」
 フェンネルは妙に落ち着きがない。
 「この間、ラナンにね…」
 その名前にフェンネルはドキッとする。
 「"シレネの事を花に例えたらどういうカンジ?"って訊かれたんだ。
 だから、サイネリアみたいで可愛いよねって答えたんだけど、
 妙に納得したカオしてて何か変なんだよね…」
 アーウィングが不思議がっていると、フェンネルの顔色がサーッと悪くなった。


今回はいつもと違ってシレネにスポットが当たっています。
「ルクリア」が意味的に弱くてテーマとして成立しなかったんです。
そこで、シレネを書く事に。
アーちゃんの推薦だし、これで良いかと…。
この話、かなり好きなんですけど。

深愛〜花は囁く〜・6へ続く。